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吾輩は靴である

吾輩は靴である。名前はまだ無い。

いや、主人は吾輩のことを時々こう呼ぶ「このヨレヨレ」と。

主人は朝、玄関で吾輩を履くときに、いつも何かブツブツと云っている。気にはしていなかったが、よーく聞いてみると「足元を見られる」とか、「こいつはいつも笑っている」とか云っている。

こないだなんかは仕事先で、「いやぁ、履き慣れたのが一番なんで」なんて云って、頭を掻きながら自慢してくれたのだが、玄関でのつぶやきとはどーも違って聞こえるのである。

ある朝、吾輩の隣りに、吾輩と似たような靴が並んでいた。そいつは折り目正しそうにして、どこかかしこまって居るのだ。少しチャカしてやろうかと思ったが、考え直し、様子を見ることにした。

やがて、主人はドタドタと玄関にやってきた。

大きな声で何か云っている。

「これは同じ靴には見えないなぁ」

「新しいのはすましているが、こいつは笑っている」

「おおぉ、履き心地はなかなかよろしい」

そう云い残して、主人は吾輩のことを忘れて仕事先へ向かったのだった。

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