時代の波

写真館の正面の外壁には,右側には、大きな丸い輪の形をした物と、

左側には、細長いスチール製の平板が、29本四角く並んでいる。

この細長い平板は、1本づつづれて波が打ってあり、

並べると、右側に向かってその波が登っているように見える。

この建物(写真館)は平成元年の十二月に完成したのだが、

当時、これをデザインした人に、この意味を訊いてみた。

s氏は「時代の波です」と答えた。

平板29本の波が右肩上がりに上昇しているので、

「昇り調子の波ですね」と僕は言った。

「そうです」と答えてくれたかは忘れたが、

その29本の平板1本を1年とすると、

最後は平成二十九年ということになる。

 

〈その平成二十九年まで写真館を続けていられたら、頑張ってきたと思えるだろうか〉

と、当時三十三才の自分は自問していた。

僕は〈思える〉と感じた。

現在,平成二十六年十一月二十九日。

時代の波のように、決して右肩上がりではなかったが、

いろいろと写真を通しての出会いがあり、

いろいろな経験をこれまでさせてもらってきた。

もちろん、まだその先も続くのだろうが、

平成元年十二月の、ささやかな自問自答が、

今でも「時代の波」を眺めると思い出すのである。

| 日々のこと | 13:42 | - | - |
恭賀新年2014

  あけましておめでとうございます。

 

 年が明けてから、雪がずっと降り続いています.

 私がこどもの頃.とても冬が好きだったようで、

たぶん真白い雪が積もり.スキー.スケート.

雪遊びと、遊ぶことに事欠かなかったからでしょう.

 祖父母は冬という季節は寒くて好きじゃなかったようなことを.

こどもの無邪気さを眺めていつも言っていたことを思い出しました.

 昨年は三日未明に大雪が降り積もり.今年は、元旦からずっと

降り続いています.雪かきもタイヘンなのですが、運動不足を

これで解消しようと思っています.

 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます.

| 日々のこと | 06:25 | - | - |
10月25日のお知らせ

突然ですがあさって日曜日、太田写真場の一角に、私の娘、かいが焼いた「シナモンロール」を置く予定です。

まだ名も無きシナモンロールなのですが、あちこちで「かいちゃんのシナモンロール」と呼ばれて、
最近ではたくさんの方に食べていただいているようです。


突然「シナモンロール屋になる」と言い出して、北欧スウェーデン、フィンランド、ついでにベルギーへと「シナモンロールの味を見に」飛んで行ったのはまだ半年前のこと。

帰ってくるやいなやシナモンロールの試作をはじめ、間もなく娘のシナモンロールは生まれました。

自家製天然酵母と、フィンランド直入のスパイスをふんだんに入れた力作だそうです。

シナモンロールの販売はあさって27日(日曜日)、

11時ごろから太田写真場の店内にて、売り切れ次第終了です。

他にベーグルと食パンも並べる予定ですので

よろしくお願いいたします。

| 日々のこと | 10:00 | - | - |
型物と個性
 写真館でのスタジオ写真に、いわゆる型物(かたもの)といわれる撮影の技術がある。


例えば和服を着たご婦人の半身像を写す場合、椅子をどのように置き、その椅子に被写体となるご婦人をどのように座らせるか、そして着物の襟ののぞき具合、また帯と帯締めのバランス、帯の見え具合、手の合わせ方云々となる。


つまり、和服のご婦人ひとりの半身像を写すには、ありとあらゆる部分に型があって、それを学ぶ人にとってはがんじがらめとなり、これでは誰が写しても同じだろうと思うことがあるに違いない。


ところがそうはならないのである。


例えば師匠の写した写真のできばえを大きな円にすると、その円よりもひとまわりもふたまわりも小さい円になるのがせいぜいだからである。


それは師匠の経験と個性がその写真の中に秘んでいるからだ。


その小さい円の中に自分の経験と個性を積み重ねなければ、大きな円にはならないのである。


しかし、個性とはいったい何なのか私には分からない。


たぶん作意を消滅させた向こう側から自然と滲み出てくるものかもしれない。


作意を消滅させるなどと簡単に書いてはみたが、これがやっかいなのである。


私は何年か後に写したその写真を改めて見たときに、自然と見入ることが出来れば、いくらかは作意を消滅させている写真だと判断している。

| 日々のこと | 13:24 | - | - |
未明のカイブツ
 洞爺湖での撮影を切り上げて、暗いうちに高速道路に乗って旭川まで真直ぐに帰ることにした。

時間がたっぷりあるので余裕のドライブをする予定だったのだが、すぐに道路工事中であるために高速道路を下りなければならなくなってしまった。


わずかに不運を感じたが、高速道路から下りることによって得るものがあるかもしれないと考えを改め直した。

「30分程走ったら○×インターチェンジあるので、そこからもう一度乗って下さい。」という係の人の言葉を背に「幸運は果して…」と運を転じる事に期待した。

しばらく走ったら右手に海を感じ、暗い丘からゆっくりしたカーブを下りて行くと突然カイブツが現れた。


「グワァナンジャコリャ」


ライトを体中にランダムに取り付けた巨大な怪物が立っているようにみえた。

(石油精製工場のようである)


むかし映画でみたような未明の怪物を僕はみてしまったのだった。

| 日々のこと | 09:50 | - | - |
5月3日の朝
 とても五月とは思えないこの寒さで、夕べはふとんの中へもぐり込みました。

TVではこいのぼりが雪の中で泳いでいる映像が現れ、みたことのない風景に少し驚いてしまいました。


今朝も肌寒く、暖房を欠かせない毎日が続いております。

スタジオ前のこぶしもどれひとつ芽をふいておりません。


しかし、明日あたりから少しづつ暖かさを取り戻してくるようです。


おそらくこの連休の終わり頃にはいくつかこぶしの芽はふくことでしょう。

もう少しです。

| 日々のこと | 11:48 | - | - |
朝の寄り道
 東京のJR四ツ谷駅を降りてから、スタジオがあるホテルまでの数分間は、時々土手の上を歩いて出勤していた。


混み合った電車から解放されたは良いのだが、皆せわしなく狭い歩道を同じ方向に進むため突き当たりのホテルが巨大な吸引力を持った装置にみえてきたりする。


そんな朝はいち抜けるのだ。


イグナチオ教会を背にして土手への石段をかけ上がると別世界だった。とくに晴れ日の三月が気持ちが良い。

まず背の低いレンギョウが鮮やかに咲いて出迎えてくれる。そしてその先からずっと枝ぶりの良いソメイヨシノが続いていた。

上智大学を左手に見て、右側は堀を埋めた大学のグランドが広がり、その向こうは朝もやに霞む赤坂離宮の森が見える。


誰も知らないのかと思ってしまうほど、朝は人が居らず、いつもひとり占めの気分だった。


やがて弁慶堀がチラリと見え、高速道路が姿を現し、逆光で眩しいビル群が待ちかまえていた。

ここで名残り惜しくも、朝の寄り道を終えて気持ち良くホテルの中に入って行った。

| 日々のこと | 16:39 | - | - |
ああ無用!
 今晩は満月である。満月を英語でいうとフルムーン。

フルムーンといえば法師温泉。


ということで妻と二人でその温泉に行ってきた。


私は着くなり、即温泉へ直行したのだが混浴であることに油断したのか女性の脱衣場へ無意識で入ってしまった。

誰もいなかったので何も気づかずに浴場へ入った。

やがてぞくぞくと男性が入ってくる。


そこで気がついた。私が入った入口ではないところから皆入って来ることを。

少し困った・・・

しかし、女性が一人も入って来ずに難無きを得た。


部屋に戻って妻にそのことを話すと「大阪でもあったわね」といった。

そう、大阪でもあったのだ。



大阪の環状線、某駅、夕方、ガラガラの車両にのん気に乗り込み真ん中にのんびり座った。2〜3駅を過ぎたあたりからゾクゾクと人が乗り込んできた。

そしてついに超満員となった。


不思議なことにヘンな気分になった。

このヘンな気分は何なのか考えてみた。まわりを見渡してみる。

そして私は気がついた。ここは女性専用車両だったのである。


いい訳はしたくないが、私はそのころ女性専用車両があるなんて聞いたことがなかったのである。

「私は悪くない」とずっと念じながら。両隣の若い女性はペチャクチャペチャクチャ

私の存在を意識していないらしい・・・

しかし、つり革につかまっている一人の御婦人が私をじっとにらんでいたのである。

「ああ・・・」

もちろん喜んで私は次の駅で降りたのだった。



今でも思うが、よく男一人だということに気がついたと感心するのだが・・・

| 日々のこと | 09:52 | - | - |
冬至越え
 新聞を読んで驚いた。今年の旭川は初雪が遅く、その初雪が根雪になったと。

過去にこういった記録がなく、初めてのことだそうだ。



1971年か1972年と記憶しているが、旭川で113日未明に大雪が降り、これが初雪であり、そしてこれが根雪になったとずっと思っていた。(個人的記憶)

つまり、その年のが記録にないということは、その日以前にチラチラと初雪が降っていたということになる。

記録とはそんなもんだ。



さて、暦の上では冬至を越え、あとは春に向かって行くのみです。

健康に留意され、どうぞ皆様よいお年をお迎え下さい。

| 日々のこと | 14:14 | - | - |
ウラとオモテ
 十才の頃、家族で十和田湖まで旅行をした。


それは私が初めて青函連絡船に乗り、津軽海峡を渡るという、いわゆる小さな海外旅行だった。

なのに、その旅行のことはほとんど忘れてしまっている。


強いていえば奥入瀬だとか休屋だとかの読みにくい漢字のことと、絵ハガキで何度も見た乙女の像を見に行ったという記憶だけである。

その乙女の像にしても何の感動もなかったということだけ覚えていた。



やがて私が家族を持ち、子供たちが同じくらいの年令になった頃、再び十和田湖へ旅行をした。

そのとき私はもう一度乙女の像を眺めてみたくなり、にぎやかな店先をくぐり湖畔を歩いてそこまで行ったが、やはり何の感慨も持つことがなかった。


帰り際に、予定になかった近くの十和田神社に寄ってお参りをしようということになり、その参道を歩いて行った。

湖畔とはうって変わって人は誰も居らず、杉林の中の静寂さで心が鎮まる思いだった。

やがて社の前を通り、道は曲がりくねり、小さな祠がいくつか見え、そこを抜けると占場という地点の入口に着いた。

しかし、その占場というところはこの崖に掛かっている長い鉄梯子を降りて行かなければならない。


そこで家族を代表して一人で行くことにした。

降りながら見上げると子供たちがのぞくので「危ないからのぞくな」と叫びながら慎重に降り、なんとか占場に辿り着いた。


夏で木が繁っていたのか薄暗いイメージが残っている。

ふと前を見ると右と左の二ヶ所に木のすき間からポッカリ穴をあけたようにまるく湖面が見えるではないか。

その水の色はとても深く、いくつかの緑色が交じり、ギラッギラッとにぶく光り、今にも湖の底に吸い込まれそうな思いに震えた。

私は梯子投を降りた地点から一歩も動けずにじっと手を合わせるだけで帰ることにした。


おそらく昔人たちはこの水の色を感じてこの神社をつくったのだろう。そして人はささやかな願いを込めて己の大切なものを深い湖の底に沈め祈ったのだろう。

深い深い震えるような色に対して、そのささやかな願いがせめて叶うようにと。

| 日々のこと | 10:54 | - | - |
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